Hopf 論文の二重掲載事件

“The free electron laser: conceptual history” が Physica Scriptaに出版された。著者は John Madey、Marlan O Scully、Phillips Sprangle である。出版日は 2016年7月12日、Madey が亡くなった日の7日後である。

以前、この blog で Hopf論文の二重掲載事件について記した。Hopf らによるFEL増幅作用を古典電磁気学で表現した論文が、Optics Communications と Physical Review Letters に二重に掲載された事件である。”conceptual history”では、この事件の顛末にも触れている。私は、「著者による二重投稿が原因」と書いたが、これは間違いであった。これを訂正し、以下に真相を記す。

F.A. Hopf, P. Meystre, M.O. Scully, W.H. Louisell は、Madey が量子力学で導出したFEL増幅作用が、古典電磁気学を用いても同じように導出できることを見出した。

小信号利得領域について、これを記した論文を Optics Communications (OC)に投稿した。引き続き、これを飽和領域まで拡張した論文を Physical Review Letters (PRL)に投稿した。 PRL論文では、式の導出の主要部分はOC論文を参考文献として示すのみで、その詳細は記述していなかった。そのため、PRL の査読者は、OC に投稿した論文原稿を提出するよう要求し、Hopf らは OC 論文の原稿を PRL 編集部へ送った。

二つの論文ともにめでたく受理され、論文出版となったのだが、ここで、手違いが起こった。PRL 編集部は、参考文献として送られた OC 論文の原稿を印刷に回してしまったのだ。この間違いは、すぐに正されて、2週間後の PRL に正しい原稿が掲載されると同時に、間違って掲載された論文を取り消す erratum が出された。

正しい原稿が掲載されるにあたっては、次のような一文が論文タイトルの上に書かれている。”The following Letter should have appeared in the 1 November 1976 issue. We regret that a misunderstanding resulted in publication of reference material instead of the submitted manuscript. See Erratum, this issue, page 1368.

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Madey 逝去

だいぶ、間があいてしまった。10か月ぶりの更新である。

公私多忙につき、、、というありきたりの言い訳はともかく、この雑文の更新を楽しみにしていた読者には申し訳なかった。

さて、この10か月の間、FELの分野での大きな出来事が、Madey 逝去の報であった。

ハワイ大学のアナウンスによれば、John Madey が2016年7月5日に亡くなったとのことである。11943年生まれということは、72-73歳だったはずであり、現役の大学教授として教育、研究の第一線で働いていたことを思えば、残念、早すぎるとしか言いようがない。

日米の物理学会が4年に一度、原子核分野で合同の学会分科会をハワイで開いている。2014年10月の日米物理学会合同原子核分科会では、私の研究グループから2名がハワイに行くことになった。Madeyはハワイ大学で電子リニアックを使ったコンプトンX線源の研究をしていたことから、コンプトン光源をテーマにしたワークショップを日米の関係者で開催することにした。ワークショップのアジェンダについてメールのやりとりをしている間に、Madeyの奥さんが急逝したとの連絡があった。Madey 本人は、かなり気を落としている様子が伺えた。そんなこともあり、ワークショップは立ち消えとなってしまった。

あれから2年、今度は Madey 本人の訃報に接することになるとは。

Weiren Chou が言った「加速器分野で次にノーベル賞が出るとすれば、FELのMadey」という予想は外れた。Weiren に会う機会があれば、「次の候補は?」と聞いてみたい。

John M.J. Madey の冥福を祈ります。

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自由電子レーザーの解析 – 2

Maxwell 方程式

真空中に電荷と電流が存在し、分極と磁化がない場合、電磁場を表すMaxwell 方程式は、CGS-Gauss 単位系を用いると次のように書ける。

(1)   \begin{equation*} \nabla \cdot \vec{E} = 4 \pi \rho \end{equation*}

(2)   \begin{equation*} \nabla \cdot \vec{B} = 0 \end{equation*}

(3)   \begin{equation*} \nabla \times \vec{E} = - \frac {1}{c} \frac {\partial \vec{B}}{\partial t} \end{equation*}

(4)   \begin{equation*} \nabla \times \vec{B} = \frac {1}{c} \frac {\partial \vec{E}}{\partial t} + \frac {4 \pi}{c} \vec{J} \end{equation*}

スカラーポテンシャル \phi、ベクトルポテンシャル \vec {A} を用いて\vec{E}\vec{B}を表す。(J.D. Jackson 6.4 参照)

(5)   \begin{equation*} \vec {E} = - \frac {1}{c} \frac {\partial \vec {A}}{\partial t} - \nabla \phi \end{equation*}

(6)   \begin{equation*} \vec {B} = \nabla \times \vec {A} \end{equation*}

さらに、ローレンツゲージをとると、Maxwell方程式 (1)-(4)は、以下の2つの2階偏微分方程式になる(J.D. Jackson 6.5 参照)。

(7)   \begin{equation*} \left (\nabla ^2 - \frac{1}{c^2} \frac {\partial ^2}{\partial t^2} \right ) \vec {A} = - \frac {4 \pi}{c} \vec {J} \end{equation*}

(8)   \begin{equation*} \left (\nabla ^2 - \frac{1}{c^2} \frac {\partial ^2}{\partial t^2} \right ) \phi = - 4 \pi \rho \end{equation*}

式(7)は、電流(電子ビーム)が作る電磁波を表す波動方程式であり、FELの増幅作用を解析するのに必要な式である。式(8)は、空間電荷による静電波を表す式で、FEL(Compton 領域)の議論では無視できる。

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自由電子レーザーの解析 – 1

はじめに

自由電子レーザー(Free Electron Laser; FEL)は、高エネルギー電子による光(電磁波)の増幅である。

Madey によるFEL の提案論文では、電子と仮想光子(アンジュレータ磁場)の散乱を誘導放出として扱うことで、レーザーの増幅原理を示した(量子力学的描像)。その後、Hopf らの論文をはじめ、レーザーを「波」として扱う「古典力学的描像」が、FEL解析の主流となった。

ここでは、古典力学に基づく FEL 解析の一例として、電磁場の波動方程式と電子の運動方程式からスタートし、レーザー場の複素成長率(複素波数)を決定する 3 次方程式=cubic equation の導出までを示す。

一連の方程式の導出は、1996年にStanford大学で開講されたDavid Whittum による “Physics of Free-Electron Lasers” の講義ノートに基づくものである。当時の資料を読み直すと、

This is a 3 unit course, meeting Tuesday & Thursday 1:15-2:30 PM, in the Applied Physics Bldg., Room 200.

とある。階段式の広めの教室だったのを覚えている。

私と並んで講義を受けていた博士課程の学生の一人、Zhirong Huangは、その後、FELの理論家として大活躍し、2014年に FEL Prize を受賞している。Whittum の講義が Huang にとって FEL 理論を学ぶ入口となったように、このメモをきっかけにして、FEL 理論に興味をもつ若手研究者が現れてくれるとありがたい(もちろん、シニアの研究者も歓迎)。

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超放射、宇宙マイクロ波背景放射、重力理論

Robert H. Dickeがsuperradiance 現象の理論的な予測を発表したのは 1954年、Maiman によるルビーレーザー発明の6年前である。Physical Review に掲載された Dickeの論文は、Google Schalor で 引用が 5,000件を超えている。

Coherence in Spontaneous Radiation Processes
R. H. Dicke
Phys. Rev. 93, 99 (1954).
http://dx.doi.org/10.1103/PhysRev.93.99

“International Year of Light 2015” を記念した、Physical Review の論文コレクションで、この論文が最初に紹介されていることからも、この論文の重要性が窺い知れる。

はじめて、superradiance を実験的に確認したのは、MIT の M.S. Feld らのグループであり、
1973年に論文が出版されている。Feld らは、ステンレルのセル中に封入した HF ガスを外部からのレーザー入射(HFレーザー、波長2.5μm、時間幅 200-400 ns)により励起し、この励起した分子からの superradiance を観測した。

Observation of Dicke Superradiance in Optically Pumped HF Gas
N. Skribanowitz, I. P. Herman, J. C. MacGillivray, and M. S. Feld
Phys. Rev. Lett. 30, 309 (1973).
http://dx.doi.org/10.1103/PhysRevLett.30.309

この3年後に開催された、superradiance 現象に関する米国の会合で研究者が熱い議論を戦わせたことは Madey の話題で触れた。

私がDickeを知ったのは、superradiance FEL を通してであり、私にとっては”superradiance のDicke”である。しかし、物理の世界に Dicke の名前を知らしめているのは、superradiance だけではない。

Dicke 放射計(Dicke radiometer)は、微小なマイクロ波(電波)を測定するために彼が考案した
装置である。オリジナル論文は、Google Scholar での引用数が 800件を超えている。

The Measurement of Thermal Radiation at Microwave Frequencies
R.H. Dicke
Rev. Sci. Instrum. 17, 268 (1946)
http://dx.doi.org/10.1063/1.1770483

Dicke 放射計の原理は、校正用の雑音源とアンテナからの信号を一定周期で切り替えながら受信機に入力し、切り替え周期と同期した信号を取り出すことで、受信機内部のノイズをキャンセルして微小なアンテナ信号を測定するものである。オリジナル論文では、導波管に回転円盤の吸収体を挿入することで周期的に信号の切り替えを行う装置が図示されている。

Dicke放射計は宇宙マイクロ波背景放射(CMB; cosmic microwave background)の測定、気象衛星によるリモートセンシングなどに広く使われている。

CMBの発見に関する Dicke の逸話を紹介しよう。

1964年、ベル研究所のArno Penzias と Robert W. Wilson が電波望遠鏡のアンテナ雑音を減らす研究をしていたところ、偶然に、宇宙のいたる方向からやってくるマイクロ波信号(CMB)を発見した。このCMBが、ビッグバンの直接的な証拠となることから、二人は1978年にノーベル物理学賞を受賞している。

ベル研究所の二人がCMBを捕まえたのと同時期に、Dicke はビッグバンモデルから導かれるCMBの存在に気づき、これを測定するために、Dicke 放射計を備えた望遠鏡の建設プロジェクトを立ち上げていた。プロジェクトの会合を開いている、ちょうどその時に。Penzias から「CMBらしき信号を測定した」との電話をうけた彼は、会合に参加しているプロジェクトメンバーに「Boys, we’ve been scooped (われわれは先を越された)」と言ったと伝えられている。

CMBの第一報が掲載された Astrophysics Journal 142 (1965) には、Letters to the Editor の形式で、Penzias、Wilson の報告の前に Dickeグループの報告(測定結果の考察、宇宙論における意義)が掲載されている。後に Wilson が出版した回顧録によると、彼らの第一報ではアンテナ雑音の大きさ(背景温度)の測定値を記すのみで、その解釈と宇宙論における意義に関する一切の記述は Dicke に譲ったとある。Penzias、Wilson は CMB を知らずに測定を行っていたという事実を反映している。ただし、同時に Wilson は、”We thought, furthermore, that our measurement was independent of the theory and might outlive it.” とも述べている。ノーベル物理学賞が Penziasと Wilson に与えられ、Dicke が受賞できなかったことは、当時、少なからず議論になったようだ。

Dicke は重力に関する「Brans-Dicke theory(ブランス−ディッケ理論)」にも名前を残している。Carl H. Brans は Dicke が指導した PhD である。

一般相対性理論の実験的検証について記した「アインシュタインは正しかったか?」(クリフォード・M・ウイル)を読むと、ディッケの名前がいたるところに現れる。同書によれば、「過去25年間の実験相対論の復活を支えた人を一人だけあげるとすれば、それはロバート・ディッケにならざるをえまい。重力相互作用の性質における最も重要な実験で、中心的役割を果たしたばかりか、理論家や実験家がこの分野を研究するやり方に深遠な影響を与えることになった、多くの重要な理論的洞察をディッケは行った」とある。ただし、「過去25年間」は同書が出版された1986年を基準としている。

自由落下する実験室での体験と無重力下での体験がまったく同じであること(等価原理)からスタートし、重力による時空の曲がりを導いたのが、アインシュタインの一般相対性理論である。ブランス−ディッケ理論は、等価原理を満たしつつ、アインシュタインとは異なる時空の曲がりを与えるものである。その後、時空の曲がりの大きさを精密に測定する複数の実験が行われるにつれて、ブランス−ディッケ理論は、支持を失っている(完全に否定はされていないが)。

ブランス−ディッケ理論を記した論文は、Google Scholar での引用が 4,200件を超えている。

Mach’s Principle and a Relativistic Theory of Gravitation
C. Brans and R. H. Dicke
Phys. Rev. 124, 925 (1961)
http://dx.doi.org/10.1103/PhysRev.124.925

Physical Review が選ぶ、一般相対性理論 100周年記念の論文コレクションにも収録されている。

この他、Dicke に関しては、「ロックインアンプを発明し、これを売り出す会社を作った」ことや、宇宙論における「人間原理」に関する業績など、まだまだ話題が尽きないが、ビーム物理から離れるのでこのあたりで締めくくる。

「人間原理」については、青木薫さんが書いた「宇宙はなぜ、このような宇宙なのか−人間原理と宇宙論」に詳しい。

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