超放射、宇宙マイクロ波背景放射、重力理論

Robert H. Dickeがsuperradiance 現象の理論的な予測を発表したのは 1954年、Maiman によるルビーレーザー発明の6年前である。Physical Review に掲載された Dickeの論文は、Google Schalor で 引用が 5,000件を超えている。

Coherence in Spontaneous Radiation Processes
R. H. Dicke
Phys. Rev. 93, 99 (1954).
http://dx.doi.org/10.1103/PhysRev.93.99

“International Year of Light 2015” を記念した、Physical Review の論文コレクションで、この論文が最初に紹介されていることからも、この論文の重要性が窺い知れる。

はじめて、superradiance を実験的に確認したのは、MIT の M.S. Feld らのグループであり、
1973年に論文が出版されている。Feld らは、ステンレルのセル中に封入した HF ガスを外部からのレーザー入射(HFレーザー、波長2.5μm、時間幅 200-400 ns)により励起し、この励起した分子からの superradiance を観測した。

Observation of Dicke Superradiance in Optically Pumped HF Gas
N. Skribanowitz, I. P. Herman, J. C. MacGillivray, and M. S. Feld
Phys. Rev. Lett. 30, 309 (1973).
http://dx.doi.org/10.1103/PhysRevLett.30.309

この3年後に開催された、superradiance 現象に関する米国の会合で研究者が熱い議論を戦わせたことは Madey の話題で触れた。

私がDickeを知ったのは、superradiance FEL を通してであり、私にとっては”superradiance のDicke”である。しかし、物理の世界に Dicke の名前を知らしめているのは、superradiance だけではない。

Dicke 放射計(Dicke radiometer)は、微小なマイクロ波(電波)を測定するために彼が考案した
装置である。オリジナル論文は、Google Scholar での引用数が 800件を超えている。

The Measurement of Thermal Radiation at Microwave Frequencies
R.H. Dicke
Rev. Sci. Instrum. 17, 268 (1946)
http://dx.doi.org/10.1063/1.1770483

Dicke 放射計の原理は、校正用の雑音源とアンテナからの信号を一定周期で切り替えながら受信機に入力し、切り替え周期と同期した信号を取り出すことで、受信機内部のノイズをキャンセルして微小なアンテナ信号を測定するものである。オリジナル論文では、導波管に回転円盤の吸収体を挿入することで周期的に信号の切り替えを行う装置が図示されている。

Dicke放射計は宇宙マイクロ波背景放射(CMB; cosmic microwave background)の測定、気象衛星によるリモートセンシングなどに広く使われている。

CMBの発見に関する Dicke の逸話を紹介しよう。

1964年、ベル研究所のArno Penzias と Robert W. Wilson が電波望遠鏡のアンテナ雑音を減らす研究をしていたところ、偶然に、宇宙のいたる方向からやってくるマイクロ波信号(CMB)を発見した。このCMBが、ビッグバンの直接的な証拠となることから、二人は1978年にノーベル物理学賞を受賞している。

ベル研究所の二人がCMBを捕まえたのと同時期に、Dicke はビッグバンモデルから導かれるCMBの存在に気づき、これを測定するために、Dicke 放射計を備えた望遠鏡の建設プロジェクトを立ち上げていた。プロジェクトの会合を開いている、ちょうどその時に。Penzias から「CMBらしき信号を測定した」との電話をうけた彼は、会合に参加しているプロジェクトメンバーに「Boys, we’ve been scooped (われわれは先を越された)」と言ったと伝えられている。

CMBの第一報が掲載された Astrophysics Journal 142 (1965) には、Letters to the Editor の形式で、Penzias、Wilson の報告の前に Dickeグループの報告(測定結果の考察、宇宙論における意義)が掲載されている。後に Wilson が出版した回顧録によると、彼らの第一報ではアンテナ雑音の大きさ(背景温度)の測定値を記すのみで、その解釈と宇宙論における意義に関する一切の記述は Dicke に譲ったとある。Penzias、Wilson は CMB を知らずに測定を行っていたという事実を反映している。ただし、同時に Wilson は、”We thought, furthermore, that our measurement was independent of the theory and might outlive it.” とも述べている。ノーベル物理学賞が Penziasと Wilson に与えられ、Dicke が受賞できなかったことは、当時、少なからず議論になったようだ。

Dicke は重力に関する「Brans-Dicke theory(ブランス−ディッケ理論)」にも名前を残している。Carl H. Brans は Dicke が指導した PhD である。

一般相対性理論の実験的検証について記した「アインシュタインは正しかったか?」(クリフォード・M・ウイル)を読むと、ディッケの名前がいたるところに現れる。同書によれば、「過去25年間の実験相対論の復活を支えた人を一人だけあげるとすれば、それはロバート・ディッケにならざるをえまい。重力相互作用の性質における最も重要な実験で、中心的役割を果たしたばかりか、理論家や実験家がこの分野を研究するやり方に深遠な影響を与えることになった、多くの重要な理論的洞察をディッケは行った」とある。ただし、「過去25年間」は同書が出版された1986年を基準としている。

自由落下する実験室での体験と無重力下での体験がまったく同じであること(等価原理)からスタートし、重力による時空の曲がりを導いたのが、アインシュタインの一般相対性理論である。ブランス−ディッケ理論は、等価原理を満たしつつ、アインシュタインとは異なる時空の曲がりを与えるものである。その後、時空の曲がりの大きさを精密に測定する複数の実験が行われるにつれて、ブランス−ディッケ理論は、支持を失っている(完全に否定はされていないが)。

ブランス−ディッケ理論を記した論文は、Google Scholar での引用が 4,200件を超えている。

Mach’s Principle and a Relativistic Theory of Gravitation
C. Brans and R. H. Dicke
Phys. Rev. 124, 925 (1961)
http://dx.doi.org/10.1103/PhysRev.124.925

Physical Review が選ぶ、一般相対性理論 100周年記念の論文コレクションにも収録されている。

この他、Dicke に関しては、「ロックインアンプを発明し、これを売り出す会社を作った」ことや、宇宙論における「人間原理」に関する業績など、まだまだ話題が尽きないが、ビーム物理から離れるのでこのあたりで締めくくる。

「人間原理」については、青木薫さんが書いた「宇宙はなぜ、このような宇宙なのか−人間原理と宇宙論」に詳しい。

カテゴリー: レーザー パーマリンク

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