Madey 逝去

だいぶ、間があいてしまった。10か月ぶりの更新である。

公私多忙につき、、、というありきたりの言い訳はともかく、この雑文の更新を楽しみにしていた読者には申し訳なかった。

さて、この10か月の間、FELの分野での大きな出来事が、Madey 逝去の報であった。

ハワイ大学のアナウンスによれば、John Madey が2016年7月5日に亡くなったとのことである。11943年生まれということは、72-73歳だったはずであり、現役の大学教授として教育、研究の第一線で働いていたことを思えば、残念、早すぎるとしか言いようがない。

日米の物理学会が4年に一度、原子核分野で合同の学会分科会をハワイで開いている。2014年10月の日米物理学会合同原子核分科会では、私の研究グループから2名がハワイに行くことになった。Madeyはハワイ大学で電子リニアックを使ったコンプトンX線源の研究をしていたことから、コンプトン光源をテーマにしたワークショップを日米の関係者で開催することにした。ワークショップのアジェンダについてメールのやりとりをしている間に、Madeyの奥さんが急逝したとの連絡があった。Madey 本人は、かなり気を落としている様子が伺えた。そんなこともあり、ワークショップは立ち消えとなってしまった。

あれから2年、今度は Madey 本人の訃報に接することになるとは。

Weiren Chou が言った「加速器分野で次にノーベル賞が出るとすれば、FELのMadey」という予想は外れた。Weiren に会う機会があれば、「次の候補は?」と聞いてみたい。

John M.J. Madey の冥福を祈ります。

カテゴリー: FEL パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です