John M.J. Madey によるFELの最初の論文(1971)-13

Madey による回顧録

最近になって、Madey 自身による FEL 発明に関する二篇の回顧録が出版されている。ひとつは、“Invention of the Free Electron Laser”, Review of Accelerator Science and Technology (2010) 、もうひとつは、“Willson Prize article: From vacuum tubes to lasers and back again”、Physical Review ST-AB 17, 074901 (2014)である。

これら回顧録から、Madey が FEL を着想するに至った道筋を辿ると、およそ、以下のような流れになる。

  • 少年時代、アマチュア無線に夢中になり、真空管に興味を持つようになった。隣人であったPrinceton 大学の関係者を通じて、当時最新の真空管技術に親しんだ。
  • カリフォルニア工科大学へ入学する前年のMaimanのルビーレーザーの発明に触発され、誘導放出の現象に関心を持ち始めた。
  • 学部指導教官であったAlvin Tollestrupの指導のもとCalTech Synchrotron Laboratory での放射光の観測実験、修士課程の指導教官であったAmnon Yariv のレーザーの講義などから、制動放射(放射光)を使ったレーザーができないか考え始めるようになった。
  • 学部時代の夏期実習でBNLに滞在したおりには、John Blewett、Ken Green、Renate Chasmanらと、電子ビームがコヒーレントに光を放射できるか議論をした。
  • Stanford に移った後の博士課程の講義でWeizsacker-Williams method を学び、制動放射(アンジュレータ放射)を使った誘導放出の解析にこの手法を応用することでFEL の動作を明らかにし、論文発表と特許申請を行った。

自身の1971年論文については、以下のように振り返っている。

まず、先行するMotzやPhillipsの古典電磁気学に則った電磁波源(アンジュレータ、ユビトロン)の動作が量子力学で記述できることを示したこと。さらに、古典電磁気学による電磁波源の解析の一般的なやり方である、電流源の定式化=初期条件と導波管=境界条件の設定、J * E による電磁波増幅の計算といった手法を使わずに電子ビームによる電磁波の増幅を示したことは、open resonator (導波管ではない光共振器)による短波長レーザーへの道を開いたこと。これらの点が1971年論文の意義であった。

1971年論文で言及のなかった、Motz、Phillips の研究(アンジュレータによる電磁波の増幅)については、「FELにつながる萌芽的な業績であった」としながらも、「自分は、1971年の時点で、これらの研究は知らなかった。もし知っていたとしたら、彼らの解析手法を単になぞるだけで終わってしまい、短波長でも動作可能なレーザーを電子ビームで作り出すFELのアイデアには到達しなかっただろう」と書いている。

また、”Free Electron Laser” の命名については、H. Dreicer の論文、Kinetic Theory of an Electron‐Photon Gasで議論されている磁場中を運動する自由電子によるCompton散乱=free-free transitionの関係に関する記述から着想を得たとある。

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