John M.J. Madey によるFELの最初の論文(1971)-10

Madey による1971年の論文から始まった、「FELは量子力学に基づく装置なのか?」の議論を振り返る。

1973年のFEL論文

1971年論文は、謝辞の部分に一か所”Free Electron Laser”の語があるのみ、というのは先に記した。初めて、Free Electron Laser の語がタイトルに入った論文が、1973年に、Madey, Schwettman, Fairbank の連名で発表されている。

この論文で、Madey は、”A Classical Interpretation?”という節を設け、FELの古典力学解釈について考察している。1971年のFEL提案論文では引用しなかったMotz-Nakamura の論文(アンジュレータを用いた電磁波増幅)を引用し、自身の解析との違いを議論している。Motz-Nakamura は古典力学、Madey は量子力学を使った解析である。

Madey は、自身が導出したFELゲイン式において、分母と分子でプランク定数がキャンセルしていることから、FEL が古典力学で表される可能性を吟味しつつも、「プランク定数を含まないゲイン式は、古典力学の必要条件であるが、十分条件ではない」、また、「Motz-Nakamuraのゲイン式と自身のゲイン式は、ビーム電流やアンジュレータ磁場に対するスケール則が異なる」、さらに加えて、J.J. Sakurai の教科書を引用して、「電場、磁場と光子密度の演算子は可換でない。古典力学の扱いが可能となるのは、光子密度が大きい場合(量子揺らぎを無視できる領域)に限られる」との理由をあげて、FELは量子力学的装置であるとの立場を崩していない。

Motz-Nakamura 論文

Motz-Nakamura 論文は、アンジュレータで電磁波の増幅が可能であることを最初に示した論文(会議録)で、1959年に発表されている。

H. Motz and M. Nakamura
“The Generation of Submillimeter Waves and Fast Wave Amplification”
Millimeter Waves Internatl. Symp., New York, N. Y. 1959.

論文の著者、M. Nakamura は、通産省電気試験所(後の電総研、産総研)からStanford 大学の Microwave Laboratory (最初のFEL実験が行われたHEPL の前身) に派遣されていた中村正郎(まさお)氏である。中村氏は、その後、福井大学に奉職し、2014年春の叙勲で瑞宝中綬章を82歳で受章した記録がインターネットに残っているので、当時は、27歳だったことになる。若い日本人が、FEL につながる初期の研究に携わったことは、特記しておくべきであろう。

 

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John M.J. Madey によるFELの最初の論文(1971)-9

Madey の1971年論文に対する二つの批判について続ける。

Motz のアンジュレータ

1971年論文では、参考文献にMotz による2本の論文が引用されている。

1951年の論文は、周期磁場(アンジュレータ)を通過する電子ビームが発生する電磁波(アンジュレータ放射)のスペクトル、パワーの理論計算、1953年の論文はアンジュレータ放射の実験結果(Stanford大学で実施した)の報告であり、100MeV 電子ビームをアンジュレータに通した時の可視光の発生と偏光測定、3MeV電子ビームをアンジュレータに通した時のミリ波の発生とプリバンチ(バンチャーによる)の効果について記している。これら論文では、光(ミリ波)の増幅(誘導放出)を扱っていないので、FELではない。

Motz は、その後、1959年に、同じ装置で電磁波の増幅ができることを発表しているが、これは会議録(Polytechnic Institute of Brooklyn Symposium on Millimeter Waves)に査収されているのみなので、1971年当時にMadey が知らなかったとしても仕方がない。私自身も、入手できていない。

Phillips のユビトロン

Madeyの1971年論文は、Phillips のユビトロン(Ubitron)について言及していない。Phillips のユビトロンは、アンジュレータを使ったマイクロ波の増幅管である。外観はクライストロンと似ている。電子銃、入出力窓を備えた導波管、ビームコレクタが接続されており、導波管の外側に磁石列が取り付けられている。

History of the Ubitronによれば、1957年、X-bandの進行波管の実験中にユビトロンの原理を偶然発見した Phillipsは、1959年の電子管の会議で実験結果を報告し大きな反響をよび、その後、軍事予算などを得て 2.55GHz-54GHz の範囲で複数の増幅管を1965年までに完成した。

ユビトロンは、現在の FEL とまったく同じ原理に基づき、電子ビームのエネルギーを電磁波に変換する装置である。MadeyのFEL と違うのは、導波管を用いている点、電子のエネルギーが150keV程度と小さいため、相対論効果が現れない点である。Phillips の1960年の論文には、進行波に対する位相とエネルギーの2次元空間で電子がポテンシャルにトラップされる様子や、エネルギーと運動量の分散関係を示した図など、その後のFEL の解析と同様の図が載っている。つまり、古典論でユビトロン(FEL)の動作を説明できることが明確に示されている。

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John M.J. Madey によるFELの最初の論文(1971)-8

論文の評価と批判

Madeyの1971年論文は、FELの原理提案論文として多くの研究者が認めているのは、2015年8月時点で、Google Scholar での被引用件数が800を超えていることからも明らかであろう。

ICFA Beam Dynamics Panel の議長を長く務めているフェルミ研究所のWeiren Chou が、以前、私の居室を訪問した時、土産として持参してくれた加速器の歴史をまとめたポスターを見ながら、「加速器の分野で、次にノーベル賞が出るとすれば、Madey のFEL だろうね」と言っていた。Weiren Chou に限らず、Madey の業績を高く評価する同業者は大勢いる。そのMadey の最重要の業績が1971年の論文である。

しかしながら、この論文については、発表以来、二つの批判が続いたことも事実である。

批判の一つは、先行する Motz や Phillips の研究を適切に引用していない点、もう一つは、古典論で解析できる現象をわざわざ量子論で扱っている点である。

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MadeyとColsonの博士論文

今から20年ほど前、Stanford 大学物理学科の図書室で、Madey の博士論文を閲覧する機会があった。当然、FELをテーマにした論文だろうと思っていたが、手に取ってみて驚いた。論文は3部構成になっていた。

I. EMISSION OF SLOW POSITRONS FROM DIELECTRIC ABSORBERS.
II. STATISTICAL VARIATIONS IN THE ELECTROSTATIC POTENTIAL MEASURED OUTSIDE OF A REAL CONDUCTING SURFACE.
III. STIMULATED EMISSION OF MAGNETIC BREMSSTRAHLUNG.

MADEY, JOHN MICHAEL JULIUS, Stanford University, 1971, 206 pages.

1971年の出版なので、FELの提案論文と同時期の学位取得であったことがうかがえる。FEL以外のテーマについて調べると、Part I の slow positron の研究については、Physical Review Letters に

Evidence for the Emission of Slow Positrons from Polyethylene
John M. J. Madey

Phys. Rev. Lett. 22, 784 – Published 14 April 1969

として出版されている。単著の実験の論文であり、また、NASAのグラントの謝辞がついていることから、予算獲得、実験装置の組み立てを含めて独力で行った研究と思われる。

物質と物質の間には引力(重力)が働く。では、物質と反物質の間にも同じように引力が働くのか、それとも斥力が働くのか?これは、物理学の基本的な疑問のひとつである。Madey の博士課程の指導教官 William Fairbank は、この疑問に答えるための実験「電子と陽電子の自由落下実験」を提唱していた。ガリレオ・ガリレイがピサの斜塔から大小ふたつの球を落として、これが同時に落下するのを証明したように、電子と陽電子を落としてみようという実験である。しかし、この実験には二つの大きな困難がある。一つは、charge mass ratio が大きな電子(陽電子)には、重力よりはるかに大きな電磁気力が働く、この電磁気力の効果を、どうやって打ち消すのか。もうひとつが、均一かつ小さな初速度を持った陽電子を、どうやって作るのかである。Madey の博士論文、Part I は、この自由落下実験のための、低速陽電子の発生方法に関するものである。

ちなみに、反物質の重力問題に明確に答える実験は、現在にいたるまで、誰も成功していない。最近、CERNで反水素原子を使った実験が始まっている。もしかすると、長年続いた謎が解明される日が近いかもしれない。

Madey の博士論文、Part II については、journal paper は見つからなかったが、研究は継続していたようで、1978年に

Shielding by an electron surface layer
Richard Squier Hanni and John M. J. Madey
Phys. Rev. B 17, 1976 – Published 15 February 1978

として関連の論文が出ている。これも自由落下実験に関連する研究だ。

3つのテーマで博士論文をまとめたことに加えて、実験から理論まで幅広く網羅している点で、Madey の非凡な才能を示していると言えよう。

同じ図書館で Colson の博士論文も見ることができた。

FREE ELECTRON LASER THEORY
by Colson, William Boniface, Stanford University, 1977, 144 pages.

この論文は、多くの人が借り出して読んだため汚損したか紛失したのだろう。原本ではなく、マイクロフィルムからの複製本に差し換えられていた。FEL研究者にとって実用上の価値が高いのは、Colson の論文ということだろうか。

Madey と Colson、FEL Prize の第1回、第2回の受賞者である。

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John M.J. Madey によるFELの最初の論文(1971)-7

1971年のMadeyの論文について、さらに続ける。

Madey’s theorem

FELのゲインは、光の周波数(波長)に依存する。横軸に周波数、縦軸にゲインをプロットした曲線をFELのゲインカーブと呼ぶ。「アンジュレータ放射光のスペクトルを電子エネルギーで微分するとFELのゲインカーブが得られる」というのが、いわゆる、Madey の定理(Madey’s theorem)である。

エネルギーE=E_1の電子ビームと、角周波数\omegaの光が同時にアンジュレータに入射した場合を考える。

この時、以下の二通りの遷移の可能性がある。

  1. 誘導放出によって新たな光子(エネルギー\hbar \omegaが生成され、電子がエネルギーを失う。電子のエネルギーはE_0=E_1-\hbar \omegaとなる。遷移確率を表すアインシュタインの係数はB_{10}と書ける。
  2. 吸収(誘導吸収)によって光子が失われ、電子がエネルギーを得る。電子のエネルギーはE_2=E_1+\hbar \omegaとなる。遷移確率を表すアインシュタインの係数はB_{12}と書ける。

それぞれの遷移確率に対応するB係数は、アインシュタインの誘導放出の理論にしたがえば、

    \[ B_{10} =\alpha A_{10}\]

    \[B_{12} = B_{21} = \alpha A_{21}\]

である。\alphaはA係数とB係数の比を表す定数である。

つまり、電子の自発放射の遷移確率A_{10}A_{21}が与えられれば、誘導放出と吸収の確率を求めることができるわけだ。

これらの遷移の様子を下図に示す。

FEL-spont-stimulated自発放射の遷移確率は、自発放射光のスペクトルと1対1に対応するので、すなわち、電子エネルギーE=E_1の自発放射光スペクトルとE=E_2=E_1+\hbar \omegaの自発放射光スペクトルの差をとれば、誘導放出と吸収の遷移確率の差=FEL ゲインを求めることができる(下図参照)。

madey-theoremつまり、自発放射光スペクトルの微分がFELゲインカーブとなる。(Madey の論文では、電子のエネルギーで微分するとなっているが、光の周波数で微分しても同じカーブとなる)

自発放射光のスペクトルからFELゲインを計算できるという考え方は、任意のアンジュレータ(テーパ付き、optical klystronなど)に適用できる利点、さらに、電子ビームの不均一性(エネルギー広がり、エミッタンス)やアンジュレータ磁場のエラーによるFELゲインの低下も、自発放射光のスペクトル計算を通して評価できるという優れた点があり、多くのFELの設計、動作解析に応用されてきた。

ただし、光のモード(空間、時間分布とコヒーレンス)を計算できない点、small signal ゲインを与えるのみで飽和効果は計算できないという限界がある。small signal 領域に限定されることは、電子が2個以上の光子を吸収、放出する場合を考慮していないためである。

当然であるが、Madey自身の論文には「Madey’s theorem」の語はなく、他の研究者がこのように呼び始めたわけだが、Madey’s theorem の用語が定着したのは、Madey が1979年にNuovo Cimentoに論文を発表した後である。

Il Nuovo Cimento, Vol. 50, pp.64-88 (1979)

1979年の論文は、「Relationship between Mean Radiated Energy, Mean Squared Radiated Energy and Spontaneous Power Spectrum in a Power Series Expansion of the Equation of Motion in a Free-Electron Laser」という長いタイトルをもつ。この中で、Madey は1971年の論文で示した自発放射光スペクトルとFELゲインの関係式の導出は厳密さを欠いていたとして、新たな導出を試みている。ここでは、量子力学(誘導放出)の考え方はとらず、電磁場との相互作用を含むアンジュレータ中の電子の運動を古典力学で解いている。1979年当時は、Colsonらの研究を含めて、古典力学によるFELの動作解析の方法が確立していたからである。1979年の論文の第2節に”Derivation of the theorem”とあり、Madey 自身も”theorem(定理)”の用語をはじめて使っている。

1979年の論文では、二つの定理が証明されている。自発放射光スペクトルとFELで生じる電子のエネルギー広がりの関係式(第一定理)、電子のエネルギー広がりとエネルギー損失の関係(第二定理)である。両者を合わせると、自発放射光スペクトルとFELゲインの関係式が導ける。第一定理、第二定理は以下の式である。

    \[  \left < (\gamma _f - \gamma _i)^2 \right > = 2 \pi ^2 \frac {E_0^2 T}{m^2c^3\omega^2} \frac {dP(\omega)}{d \Omega} \]

    \[ \left < \gamma _f - \gamma _i \right > = \frac{1}{2} \frac{d}{d \gamma} \left < (\gamma _f - \gamma _i)^2 \right > \]

ここで、\gamma_i\gamma_fは、アンジュレータ入口と出口における電子のエネルギー(相対論因子)、E_0は光の電場、Tは相互作用時間、 dP/d\Omegaはアンジュレータ放射光のスペクトルである。

論文の脚注に興味深い脚注がある

It is interesting to note that the general relationship \left < \gamma_f - \gamma_i \right > \approx \frac{1}{2} (d/d\gamma_i) \left < (\gamma _f - \gamma _i)^2 \right > was derived by Sands (Frascati Laboratory, Project ADONE techniacl note T-73, December 29, 1975) from the quantum theory on the assumption that the statistics for emission and absorption were independent. Although Sands obtained the correct answer, the more recent analysis by J.M.J. Madey and D.A.G. Deacon: Co-operative Effects in Matter and Radiation (New York, N.Y., 1977), p.313, indicates that emission and absorption do not, in fact, proceed independently.

Sands は、Matthew Sands のことである。Sands はファインマン物理学の共著者として有名な物理学者であるが、加速器の業界では、SLAC設立時の副所長、また、蓄積リングの教科書の執筆者として知られている。Sandsの教科書は、蓄積リングの研究を志す学生の必読書として長く親しまれている。

ところで、1979年論文の1ページ目には、もうひとつ、おもしろい脚注がある。

To speed up publication, the author of this paper has agreed to not receive the proofs for correction.

1976年-1978年は、古典力学によるFEL解析の論文が立て続けに発表された時期であり、競争が激しかったことがうかがえる。

Stanford/HEPLでの最初のFEL増幅実験と発振実験の論文発表が、それぞれ、1976年と1977年。第一回のFEL会議がStanfordで開催されるのは、1979年のことだ。FEL黎明期といってよいだろう。

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